2018年7月27日金曜日

育児休暇で三ヶ月がっつり会社を休んだ話

自分の直前に育休を取得していた同僚がエントリを書いていたので、自分も制度の普及の助けになれば、とエントリを書いてみます。そしていざ書いてみたら文字ばかりで面白みがなくなってしまったので、写真をちらほら追加。


休暇中に妻が作ってくれたマグカップ

我が家の子育て状況

前職で2人、現職でさらに2人の子供を授かりました。妻は漫画家で元々は共働きでしたが、2人目が喘息で保育園に預けられなくなり、連載を段階的に切り上げ、現在は専業主婦としてやっています。

育休の報告は色々ありますが、4人の子供を持つ例はあまりみないので参考までに。上の子達はある程度大きくなり自立してきてはいますが、大きくなったなりの別の手助けが必要だったりはします。

会社の制度としては3人目の時は育休は1ヶ月でした。それが昨年あたり他の海外オフィスと同等の福利厚生水準に引き上げるべく3ヶ月に変更になりました。今思うと4人の子供がいる状況で1ヶ月で仕事に復帰するのはかなり大変だったと思うので、タイミングの良い制度変更に感謝しています。

思うに本社のあるアメリカでは、国を出て単身で留学し、そのままパートナーを見つけて海外生活を始める夫婦も多いのではないかと思います。言葉も文化も違い、親や親戚の助けも借りられないまま子育てをする。それが当たり前の国だからこそ育児サポートも手厚いのかもしれません。日本ではまだまだ家庭を女性に丸投げして会社の事だけ考えていればよかった世代が現役で、影響力も強いです。男女雇用機会均等法なんていう当たり前の事を言った法律が、ファミコンより新しいものである事を思い出すべきでしょう。お茶汲みしかさせてもらえずに大学に戻って教授になった優秀な女性の話を直接の上司から聞くこともありました。変化にはまだ少し時間がかかるのかもしれません。この辺りについては最後に育休中の事件・感想として少し意見を添えました。

長女(小学5年)

月曜日 20:00:SAPIX 迎え(行きは子供だけ、帰りは夜遅い電車と夜道が危険なので)
水曜日 20:00:SAPIX 迎え
金曜日 20:00:SAPIX 迎え
土曜日 15:50-18:00:ヤマハ音楽教室(個人・グループ) 送迎(遠いので車が必要)

これらの送迎は、もともと僕の担当でした。また長期休暇中には集中的に勉強をみてやったりしていて、わりとガッツリ時間を取られます。
もはや妻より大きい……

長男(小学3年)

水曜日 16:10-17:25:ヤマハ音楽教室(グループ) 送迎
木曜日 16:30-18:30:SAPIX 送迎
土曜日 16:00-16:40:ヤマハ音楽教室(個人)送迎・付き添い

水曜、木曜の送迎は時間が早いため、妻が担当していました。土曜は長女の送迎とセットで僕の担当です。

末っ子として育った時間が長く、三つ子の魂的には末っ子マインド。早生まれでもあるため、甘えん坊で常に次女と両親をとりあっている真正かまってちゃん。学校でもよく問題起こして先生から連絡が……。
わんぱく男子って感じで、いつも苦労させられます

次女(2歳)

習い事もないけど、学校(幼稚園)もまだなので一日中甘えて大変。多少の一人遊びはするようになったけど、基本はスーパーかまってちゃん。つい先日まで末っ子だったわけだからなぁ……。子供たちの中では一番行動力があり、なんでも自分でやろうとするのだけど……年齢ゆえに失敗ばかりで、それがまた手がかかる。上の子から順に、育った家庭環境が賑やかになるにつれ、より賑やかな子が育つようになって……大変です。

出産前にあまり手がかけられず、劇場版ドラえもんをひたすら見せていたら、すっかりドラえもん好きに。買い物の際にも自転車の子供シートからはいつもドラえもんの歌。「空を自由に〜」を「そーんなっ、ずーるい!」と歌うのが面白い。っていうか、一通り見せても一番気に入って歌ってるのは僕らが聴いた昭和時代の主題歌なんですね、不思議。右側の絵はドラえもんではなくドラミちゃんらしい(劇場版では出現頻度高いからなぁ)。

次男(0歳)

今回産まれた第四子。流石に四人目ともなると、あまり赤ん坊を育てる苦労は感じてないかも。すでに夜はしっかり朝まで寝てくれる。幸いな事に、4人育てて夜泣きで苦労したのは本当に数回程度。その点では楽をさせてもらっています。僕自身が毎日朝から晩まで泣き続けの赤ん坊だったらしいので……なんか申し訳ない。

出産前

3月頭、子供のピアノの発表会の最中に妻の体調が悪くなり、そのまま病院へ。切迫早産で陣痛が数分間隔のところまで進み、経過によってはこのまま産むしかない、という状況でした。その後、回復して家で過ごすことができましたが、基本的には絶対安静のため、この時点から5月の出産までが僕的にはもっとも辛い時期でした。

ちなみに妻は早産体質で、1人目の時には半年入院。2人目はさらに早い時期から切迫早産を診断されていたのですが、上の子が小さかったこともあり、長女と一緒に妻の実家で自宅療養してもらっていました。当時はスパコン京の開発の大詰めだった事もあり、僕は仕事に打ち込まざるを得ない状況でした。働く人間が出産・育児にどう関われるのかは、本当に仕事次第だという事を身にしみて感じています。

3人目からは病院が変わり、前回まで切迫早産だった事を伝えても「そんな兆候はないから普通に生活して良い」と言われていたのですが、半信半疑だったので半年くらいは必要ない限りは寝たきりの安静生活(最低限の家事のみで外出は控える)をしていたと思います。この時に切迫にならなかったので4人目でも兆候がないと言われた時は「もう大丈夫かな」と思い、プチ安静生活(子供の行事くらいなら外出しちゃう)をしていたのですが、やはり体質は体質でした。冷静に考えてみたら3人目の前に1度不幸な結果もあったので、慎重であるべきだったのかもしれません。

この時期の基本戦略としては、金で解決できる物は金で解決し、どうしても足りないところでは親やママ友の助けを借りる、というものです。具体的には、平日昼間にある習い事と家事が問題なのですが、

・長男のヤマハ(グループ)→週一で親に来てもらい、送迎や家事で助けを借りる
・長男のSAPIX→送迎でママ友の助けを借りる
・家事→お弁当や出前、外食などを積極的に利用し、金で解決

で、なんとかしていました。同僚からは家政婦を複数人雇って……なんて例も聞きましたが、状況とタイミングによってはそういう選択も、背に腹は代えられない、と飲むしかないでしょう。多くの問題は金で解決しても自分の時給よりは安く済むはずなので、時は金なり、冷静に損得を判断します。相談すればこの時点から会社を休むこともできたでしょう。流石に有給にはならないと思うので、そこもメリット・デメリットを考えて判断します。

仕事の方はこの時期、新機能のローンチを1つと、数ヶ月がかりの大規模リファクタリングプロジェクトを1つ受け持っていました。どちらも片付けて休暇に入るつもりだったのですが、前者はローンチして育児休暇に入ったらトラブルが発生してキャンセル、要事後対応。後者は切迫早産トラブルで踏ん張りがきかなくなり1/3ほど作業を残した状態で時間切れになってしまいました。想定された事ではありますが、なかなか予定通りにはいかないものですね。

この時期、本務以外の業務では、真鍋大度さんとのご縁でPerfumeのReframeに会社として協力・取材させてもらったりもしました。インディーズ時代からPerfume推しだった身としては貴重な機会でした。この件に関しては同行した同僚が公式ブログに書いています。

あとは妊娠と並行して決まっていたバンマスを務めるバンドのライブ本番ですね。出産と日程が被らないよう、それだけは神様に祈るしかありませんでした。もともと妊娠がわかった直後に日程を決めていたので余裕を持っていたはずなのですが、早産の場合はその限りではないので……。

また、個人的には4月から大学院博士課程に復学する事になっていたため、その負担もありました。必修科目の聴講は一発で単位を落とす(ブラック!)とかあって流石に外せませんでしたが、研究室のミーティングなどは指導教官に色々と配慮して頂き、出産後まで研究室での活動は保留させて頂きました。

最初の1週間

妻と新生児は病院で生活、仕事は育児休暇をスタートさせてもらったため、かなり余裕を持って過ごすことができました。

この時点から育児休暇の意図を汲み取り、 時給のことは忘れて家事の一切を自分で引き取りました。この時点で、20時の長女の送迎と、そのために2陣に分ける必要のある夕食が、結構な手間である事がわかりました。1人だと常に2歳児を連れ歩く必要がありますし、時には小3男子も独りで留守番させようとすると泣き出します。

また、子供たちを連れて毎日病院へは通いましたが、2歳の次女にとって母親が不在の生活は、退院までの数日間が本当に我慢させるギリギリの限界でした。特にゴールデンウィーク後半の出産だったため、上の子達が学校へ戻ると、家の中では父娘二人だけの生活。今まで賑やかだった分、これはそうとうに寂しかったようです。切迫早産の頃から母親と一緒にお風呂に入れなくなっていた事も寂しさを助長していたようで、母親退院後も毎晩お母さんとお風呂に入りたいと泣いていました。

それでも、毎日1〜2時間は自分の時間が取れたので、仕事のメールを確認して、問題となった機能のローンチをキャンセルして、関係各所に今後の相談をしたり、資料をまとめたり……といった事後処理はしていました。この時点ではまだ育休中もメールくらいは読んで行こう、と思っていました。

医師たちの苦悩が読み取れる出産待合室の書架


その後〜最初の1ヶ月(5月)

妻が退院すると、楽になった部分もあり、大変になった部分もあり。特に洗濯物の量は2〜3倍に膨れ上がっていきなり負担が大きくなりました。家事の中では洗濯物とか食事の後片付けは工夫の余地があまりなくて好きになれなかったんだけど、妻はこの手の仕事も嫌いじゃなかったようなので、産後の体調回復に合わせて、このあたりの家事から手伝ってもらう事に。次女のメンタルも徐々に安定してきて、毎日次女を連れてあちこち買い物に行くのがお互いにとっての癒やしでした。妻が家にいることで、今までの外出する度に子供全員を連れ出して……みたいな事が必要なくなったのは非常に助かりました。

研究室へ顔を出すようになり、運動会があり、振替で学校が休みの日に子供をピューロランドへ連れていき、続くピアノの発表会の準備に……という流れで疲れがたまり、仕事のメールを読み続ける、という目標はこのあたりで頓挫しました。一度溜まったメールはなかなか処理する気になれない。一応、ヤマハの待ち時間とか利用して消化を試みたんですが、全然追いつきませんでした。職場で処理してると気づかないけど、メール処理だけで毎日1時間以上は使ってたようです。

運動会では白組のマスコットを長女がデザイン、でも長女は赤組

また、ある程度は覚悟していましたが、子供たちの予想以上の赤ちゃん返りに苦労しました。特に上の二人の子まで甘えはじめるとは……。出産前に色々と家のことを手伝ってもらったり、我慢してもらっていた事の反動でしょうか、出産後の安心から家族全員の心が不安定になっているようでした。塾の送迎と買い物、料理だけで毎日の時間が飛ぶように過ぎていきます。僕自身も長期に渡る疲れと安心による油断、また出産準備で中断していた活動の再開と重なり、大いに疲弊していたのですが、誰かを頼るわけにもいかず「皆が狂うからワシは狂えない!」と、ウィリアム・ブレイクの天国と地獄の結婚ばりの気持ちでアーケード基板の購入と修理を続け、心の平穏を維持します。

2ヶ月目(6月)

6月になると大学の必修講義もあり、週1〜2回は大学に通うようになりました。以前から進めていた研究内容を振り返り、資料にまとめて深掘りする作業もはじめました。

この時期になると妻の産後1ヶ月検診も無事に終わり、食事の準備も交代でやるようになってきました。育休後の事も考え、3ヶ月目には仕事に復帰した時の生活パタンの練習ができるよう、この2ヶ月目で徐々に役割分担を元に戻して行くことにしました。この月は主に妻が頑張り、僕の負担が軽減されてきた月です。

育休中の個人の目標としては増加傾向に転じていた体重を再び出産準備前の状況まで戻す、というのがあったので、ダイエット活動も開始しました。具体的には塾の送迎の合間にコナミスポーツへ通ってランニングと水泳。ついでに帰りには下のスーパーで買い物をしてくるという。ストレスで痩せる人も多いようなのですが、僕の場合は基本忙しくなると睡眠削ってチョコでやる気を加速されるため、忙しくなると必ず太ります。お腹を壊しても食べる量が勝るのです。通勤してる時は福利厚生で会社近くのジムが利用できるのですが、自宅付近から通うのは時間の無駄なので……今回のジム費用は福利厚生で会社の健保に請求できるはず、たぶん。

ゲーマーにとってKONAMIに金を落とすのは一種のステータス
(例えKONAMIが変わってしまったとしても)

また、個人的にはこの月にもバンドのライブ本番がありました。こちらも妊娠初期からスケジュール調整をしていた件。出産後落ち着いた時期という事で設定してもらっていましたが、難易度の高い曲を多くやっているバンドでもあり、深夜の個人練習に苦心しました。ギターの1人はプロとしてバリバリ活躍してるので、ご用命の方はぜひ。

3ヶ月目(7月)

育休最後の月という事で、復帰後の生活の練習を想定していましたが、平日昼間の塾の送迎を試してもらったのは中旬以降でした。結局、下の子は僕が家でみてたりして、最後まで復帰後の状況にはなっていないのですが、首の座っていない乳児を無理して連れ出す必要はないかな、と。

妻に家事を返していっている分、戻ってきた時間で大学の研究を進めていきました。主にLinuxのカーネルをいじる作業ですが、必要な部分を理解してデザインを決め、修正を試す……くらいはできました。あと複数の先生方とミーティングを持ち、フィードバックをもらったりとかいう博士課程で必須になっている工程なども。研究に関しては同じ時期に学生をやっていた世代が先生になったり技術者として第一線で活躍していたりと、相談相手に苦労しないのは有り難いと思っています。世界最高峰のメンバーは常に職場や身近な場所にいてくれます。このような繋がりがなければ、制度として認められた先生方とのミーティング以外、なかなか指導教官以外のアドバイスを得る機会はないのでしょう。

研究室の後輩で最近東大に戻ってきた塩谷先生の居室から
CPUでトップカンファレンスに通し続けている日本人は彼だけ

また、復帰直前には上の子供達が夏休みに入り、さらに生活はドタバタ……。なかなか余裕を持って、とはいかない状況であっという間の3ヶ月を終える事になりましたが、復帰に向けて体制を立て直すだけの時間はとれたと思います。これが1ヶ月だったら本当に大変だったと思う(主に、妻が)。


育休中の事件・感想など

危うく誘拐犯事件

出産直前のゴールデンウィーク、次女を連れて久しぶりに公園へ行ったら、案の定「お家に帰りたくない、もっと遊ぶ」が発動。泣きじゃくる次女を連れて自宅へ向かう途中、ご近所のおばさま方に囲まれてしまいました。普段、子供を連れて近所を歩いてて、顔もたまには合わせてると思うんだけど。やはり平日昼間に男性が泣いた子供を連れ歩いてると不審がられますね(汗。まぁ、物騒な事件も多い昨今、悪いことではないし、この手の自治活動は有り難いと思います。が、やはり気まずい雰囲気はどうにもできませんでした。

「ほら、お家でお母さんが待ってるよー」「公園また行こうねー」とかこれ見よがしに声に出したところで怪しさ倍増。わかってる。わかってるけど、他にどうしようもない。最後は携帯で妻に連絡して、見えるとこまで出てきてもらいましたorz

まだまだ育児参加するお父さんというのはネットで見るほどは普及しておらず、町で怪訝な目でみられることも多いです。一方で理解のある方からは母子以上に微笑ましそうに見てもらえます。これもまだまだ浸透していない事の裏返しではあると思うのですが、暮らしやすさという点では年々向上しているのではないでしょうか。

評価されすぎ問題

同様に気になったのがイクメン評価されすぎ問題。ちょっと学校行事に顔を出す、塾の送迎をする、たったそれだけで「良いお父さん」という噂がたってしまいます。もちろんお世辞で言っている部分もあるでしょう。しかし「うちでは無理」みたいな声も必ずといって良いほど耳にします。世の中、思っている以上に昭和から変化がないのかもしれません。長女の頃は待機児童問題とイクメンが大きく取り上げられた時期でもあったので、むしろここ数年で揺り戻しがあったようにすら感じました。

一方で心配なのが、他の専業主婦の家庭でお父さん方に過剰なプレッシャーがかかってしまう事。育児への参加は本当に会社のサポート次第です。会社によっては朝から晩までハードな課題が与えられ、それこそ家庭の協力なしでは発狂してしまうような職場も多くあります。どういった過去を持つ人達がその会社で力を持っているのか考えてみましょう。前職で心を壊す人の多くは、仕事(や会社の古い考え方)に対し妻や家庭の理解を得られていないケースに該当しました。その点だけはお母さん方にも理解して欲しいかな、と思います。夫婦でサポートが必要なのは、必ずしも家事に追われる母親だけではありません。労働時間と給与など、総合的に考えて判断しなければならないでしょう。思っている以上に日本人の平均給与は低いですし、給与と苦労の度合いが比例関係にあるわけですらありません(ほんのり相関くらいはあるでしょうが)。お父さんの頑張りも再評価してあげて下さい。共働きであればお互いの苦労を理解しあっているので問題は少ないでしょう。

また我が家では子育ての時間が足りなくなった長男の育児の際、金銭的な余裕があったわけではないので、どちらが働き続けた方が得か、という家族全体での損得勘定で役割分担を判断してきました。ある程度生活に余裕があるのなら、損得勘定だけでなくお互いにやりたいことを続けられるか、といった視点から役割分担を検討するべきなのでしょうし、我が家でも妻の仕事復帰に関してはそろそろ考えなければいけないのでしょう(というか、考えるつもりが3人目以降の子育てに入ってしまった)。この点は私の課題でもありますし、おそらく私が博士を取得できたら、妻に挑戦のバトンを渡すべきなのでしょう。

ロスジェネと少子化

4人も子供がいると、少子化との対比で褒められる事も少なくはありません。実際、自分の周りを見てみると、東大を出ている面々は流石に既婚率は高いのですが、極端に晩婚だったり、仕事が忙しすぎて子供は多くても1人が限界、みたいな話は本当によく聞きます。ロスジェネの中で勝ち抜き、大学の先生や起業家、一部上場企業に就職した、日本の未来を背負って立つような人たちの姿です。一方で自分が今勤める外資系企業では、やや晩婚の傾向は避けられないものの、2人目、3人目の子供を持つ共働き家庭を多くみます(それでもグローバルから見たら日本オフィスは子持ちが少ないのでサポート強化中だそうです)。

何度か書いたように、育児サポートであったり、子供を何人持てるか、という事には、会社のサポートが大きく影響します。私だって今の会社でなければ3人目以降はごめんなさいしていたかもしれません。この企業文化の違いが国家の将来に与える影響は、決して小さくはないでしょう。優秀な人材自体を使い潰し、その子孫まで残せないとしたら。

既に国内に先端技術はなく、世界の物価上昇からも置いてけぼりの日本。既に先進国向けのハイエンド製品を国内展開することすら難しくなっているのは薄々みんなが気づきはじめているとおりです。海外のカジュアルなおもちゃのような楽器が、国内では一気に高級品価格として捉えられてしまいます。暗い話をしたいわけではありませんし、何かを喚起するほどの考えを持っているわけでもありません。ただせめて目をそらしたくはないのです。

ロスジェネと呼ばれる僕らの世代は、ただ恵まれていないばかりか、最近では「怖い世代」として倦厭されているようです。本当に何をやっても踏んだり蹴ったりの世代ですが、せめて次の(ロストではない)世代を残し、介護などの負担を次世代に残さずに散っていけたら、と願います。

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