エムツーさんのページにて報告されているように、尊敬する仲間を一人失いました。齊藤さんには人生において多大なる影響を受けましたので、少しばかり思い出などを記録に残したいと思い、この記事を投稿します。
僕が齊藤さんの名前を知ったのは、確か高校生の頃、MOディスクを通してでした。MO?って思うかもしれませんがMOです。当時は通信環境もなく齊藤さんのネット上での活躍を知るすべはなかったのですが、たまたま電脳倶楽部を通じて知り合った方(*1)がパソコン通信にあがっているデータを定期的にMOで送ってくれていたのです。雑誌が唯一の情報入手手段だった僕はZ-MUSICしか知らなかったのですが、MOには未知のデータ形式MDXのデータが大量に収められていました。その中でも全曲集を含む良質かつ大量のデータの作者が齊藤さんでした。さらにMOには齊藤さん自身が作られたドライバSCMとそのデータも含まれていました。MSXとX68で育った僕にとってSCMは夢のようなドライバでした。音色の魅力もさることながら、その高度な動作原理も含めてすっかり虜となり、齊藤さんは自分にとって68界の憧れの先人の1人となったのです。
その後、大学の入学に合わせて上京。一部のパソコンユーザにはインターネットが普及しつつある時期でしたが、僕は敢えてパソコン通信に飛びつきました。MOでしか知ることのできなかったスーパースターたちの仲間入りがしたかったのです。先人にならって、作ったアプリやデータを次々にパソコン通信に流しました。僕が齊藤さんと初めて直接コンタクトをとったのもこのような活動の一環でした。はっきりとは覚えていないのですが、おそらく当時の最新版のSCMの転載と、満開版まーきゅりーゆにっと対応用のバイナリパッチの配布許可のお願いだったと記憶しています(*2)。この時、齊藤さんには非常に喜んで頂き、未公開だったSCM2の実行ファイル一式と、サイキックフォースのデータを送っていただいた事を覚えています。
X68の終焉を受け入れてしばらくの間はMac(OS XではなくてClassic Mac)ユーザとして過ごしました。この当時、Mac上でもMML環境が欲しくて作ったのがT'SS - T'SoundSystemです。最初はSoundManagerの提供するソフトウェアシンセをベースにした物だったのですが、厳密なタイミング制御がしたくて波形を全て自前で合成する方式に切り替えました。当時使っていたマシンはPerforma 630、CPU的にはLC040-33MHzです。今の人の肌感覚ではいまいちピンと来ないとは思いますが、当時としてもそれほど速いマシンではありません。しかし、この時に意識していたのがSCMの存在でした。我が家のXVI(16MHz-24MHz)でADPCMへのエンコードという重荷がありながらバリバリ動いているのなら、040-33MHzでPCM合成が出来ないはずがない。そう信じる事ができたから、当時安心して波形合成に舵をきることができました。その後SEGA AGES 2500シリーズでIOP(MIPS 37.5MHz)を使ってFM音源をエミュレートする事になるのですが、この時にあったのも齊藤さんに追い付きたいという気持ちが大きかったと思います。
さて、話が少し前後しますが、齊藤さんと一緒に仕事をする事になった最初の作品がでじこミュニケーション(*3)です。僕は当時BeOS仲間だったエムツーの岡田くんに声をかけられて、C++とアセンブラとゲームの分かる即戦力としてヘルプに誘われました。その時同じく外部スタッフとして堀井社長が口説き落としていたのが齊藤さんでした。僕にとっては夢のような仕事でした。当時私はお金に困っていたので(笑)、案件の詳細は知らないままふたつ返事で仕事を引き受けていたのですが、NDAを結んでびっくり。でじこ案件だった上に、憧れの齊藤さんが参加するというじゃないですか。そして齊藤さんが提供するというサウンドドライバは僕が夢中になったSCM、SCM2に続く最新作のSCM3lt。そしてそのドライバの上で楽曲を提供するのがもうひとりの憧れの人、さんたるるさん。なんかもう、嬉しいやら眩しいやらでしたね。当時の顛末についてはさんたるるさんの投稿もぜひ読んでみてください。この2人のコンビが放つゲーム制作への情熱、執念には本当にただただ圧倒されるばかりでした。
その後、齊藤さんは関東に出てきて正式にエムツー社員になる事を決断。僕は外部スタッフのままお手伝いを続け、でじこ2やSEGA AGESとしばらく仕事でご一緒させて頂きました。僕はこの時のお金で修士を卒業させて頂き別の道を歩む事に。その後のエムツーさんと齊藤さんのご活躍は皆様ご存知の通り、といったところです。
いまやスタープレイヤーの溜まり場となったエムツー。堀井社長の持つゲームへの情熱と巧みな経営戦略、そして齊藤さんの第二の人生を切り開いた人材プロデュース力に感謝。そして大切なきっかけを作ってくれた岡田くんにもありがとう。
(*1): 確か、読者から読者への読者プレゼント?っていう、よくわからない企画で当選した時の出品者でした。人生唯一の文通経験です。SFXVIとか知ったのもこの時です。
(*2): 満開版はI/Oアドレスに若干違いがあり、未対応のアプリを動かすためにアドレスを書き換えるようなパッチが簡単ではありますが必要だったと記憶しています。市販ゲームのサウンド周りの16MHz/24MHz対応バイナリパッチなどと合わせて、当時は身の回りで動かないアプリに対して手当たり次第パッチを作り公開していました。
(*3): 昨年末の大掃除、当時書いた手書きのミニゲーム企画書が出てきました。懐かしいです。
3 件のコメント:
堀井です。とよしま君の技術者としての自我を確立するまでの記録と、
とよしま君視点のでじこミュニケーション開発よもやま話楽しませて頂きました。
生活は成り立つわ、でじこには関われるわ、齊藤さんいるわ、並木さんいるわのあり得ない環境だったのですね。
堀井としては、ゲームに愛情を注げるツワモノ技術者が更に加わった!…という感じで、
プロジェクトの先を楽しみにしながら小躍りしていた記憶しかないですな。
残された我々としては、齊藤さんがうっかり戻って来たくなるような
面白プロジェクトをガンガン立ち上げて、見せつけてやるしかないですな。
素敵な回顧録ありがとうございました。眠ってる齊藤さんの所に届けておきます。
アーカイブされた当時の仕事データを発掘しました。SCM3ltの開発環境とかバッチリ出てきましたよ。また時間をみつけて齊藤さんのドライバで曲を作りたいと思います。
http://retropc.net/x68000/software/sound/scm/
X68000 LIBRARYさんに更新して頂いて、当時のまーきゅりー対応パッチなんかも含めて公開して頂いているようです。
コメントを投稿