2024年6月23日日曜日

Generative MV

ICCでやってた坂本龍一トリビュート展、お友達と見に行った時の感想の中で特に印象に残ってた〈Generative MV〉について、今通ってる芸術大学のレポート題材にして書いたのでここにも載せときます。本来は映画等の映像作品を題材にする事が期待されてたので、インタラクティブなインスタレーション作品を対象として書くのは少し冒険だったけど、ぼくの人生で一番大切なところに切り込んできたと感じた作品だったので。全体の講評を聞く感じ、自分の人生や行動にどう影響を与えたかを具体的に書いた方が高得点に繋がったっぽいかな。理系人生長かったので、人文や芸術系レポートの要求に対する細かい配慮がまだ足りてないです。




作品タイトル:Generative MV
作者名:真鍋大度、ライゾマティクス、カイル・マクドナルド
制作年:2023


作品について

 Yellow Magic Orchestra時代の坂本龍一(1952〜2023)が残した名曲「Perspective」(1983年)は、本人によるピアノアレンジを経て、ライブ『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 12122020』(2020年)にて演奏された。真鍋大度(1976〜)らにより制作されたこの映像作品は、ライブ映像と生成AIによる映像を合成することで再構成された新たなMusic Videoであり、インタラクティブ性を備えたインスタレーション作品でもある。


映像言語による分析

 この作品を理解するためには原曲のコンテキストが重要となる。ゆっくり繰り返す主観的な日常と、客観的に俯瞰した慌ただしい人々の営みとを立体的に捉え、アンニュイかつミニマルな曲調で遠近法的に描いた原曲は、音楽自体が映像のような特徴を持つ。詞の中では、繰り返される日常との対比で「In the gleam of a brilliant twilight」といった〈マジックアワー〉を鮮烈に思い起こさせる言葉に「I see people torn apart」と続く。美しい世界を背景に日々を苦しみながら生き抜く人々の姿の描写は、どこか他人事のようでもあり、モニター越しに世界を傍観しているかのようでもある。

 それから40年後に再構成された本作品では、死を間近に控えた坂本がピアノの音を通して静かに人生を語り、その対比としてAIの圧倒的な連想力で生成される映像が、無機質かつ連鎖的に映し出される。〈モンタージュによる印象操作〉により作品は複雑な表情を帯び、偶然性に委ねながらも〈時間操作〉で人類史をタイムラプスで見せているかのような印象を与える。原曲が持つ対比構造を壮大かつ動的に再構成している点は見事で、個と全体、静と動の力強い対比は、世界で活躍し多忙を極めた坂本、真鍋の〈体験に根ざした問題提起〉であるからこそ「激動の歴史の中で静かに物語を刻む個の迫力」を生み出す。

 この映像により想起されたもう一つの作品が、坂本が音楽を担当した映画『オネアミスの翼』(1983年)だ。終盤シーンで人類初の宇宙飛行士となった主人公が地上に向けてメッセージを送る。命の奪い合いの歴史が様々なカットで〈モンタージュ〉として畳み込まれ、今まさに人類史を刻む主人公とともに地球の歴史を俯瞰させる。関連する作品の背景により、作品の問いはより立体的となる。


生きることへの問いかけ

 現代では、一人の人間として認知できる人類の歴史は長く、同じ時代を生きる人々との関わりも指数的に増え続けている。このような状況下で、自己を見失わずに納得のいく生き方を貫き、歴史に爪痕を残すことは容易ではない。坂本により繰り返される社会における自己実現の問いは、私にとって重要な導標であり続け、彼の最期の言葉「いい人生だった」により重みを増した。そのような全ての想いを含め、この作品を人生を変えた・これからも変えていく映像として推したい。

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